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2018-03-16 :

法話 梅一輪

梅一輪

昔、中国の詩人が春をたずねて、一日中、野山を散策したが、つい春を見つけることができず、疲れた足をひきずってわが家に帰り、ふと庭先の梅の梢に花のふくらみを発見し、
「春はこんな身近にあったのか」
と、感激の詩を賦している。

 春になると梅の花が綻ぶ。そうだとすると春と梅の花は別物ではない。春といえば春の中に梅の花がおさまり、梅の花といえば、梅花一輪の中に春がその姿を宿している。春夏秋冬、みな同じことで、道元禅師はこの間の消息を、

「春は花、夏ほととぎす 秋は月    th253CD3HK.jpg
   冬雪さえて すずしかりけり」



と詠っている。

 映画のフイルムを見ると、一コマ一コマに少しずつ違った情景が写されている。しかし、それを一秒間24コマのスピードでまわすと、独立した一コマ一コマが抜き差しならない一つの連続した動きとして目に映る。
 別々でありながら一つにつながっている。時の流れもこれと同じで、春は花、夏はほととぎす、秋は月と、それぞれ趣を異にしているように、別々の内容を持った一瞬一瞬の連続によって成立っているのである。
 ところがわたしども映画を見ているように、「年々歳々花相似たり」で、来年もまた同じように花が咲くとのんびり構えているが、実は


「歳々年々、人同じからず」

「今年花落ちて顔色改まり、明年花開きて復(ま)た誰かある」

無常の世なのである。


 春の到来をめでると共に、花の命に思いを馳せることも、春の風情ではなかろうか。



『佐藤俊明氏 ちょっといい話』より抜粋
















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